
経験を積むにつれて変化していくものの一つに「看護観」があると思います。今回はベテランになり、看護師として様々な経験をしてきた卒後16~25年の方々の「看護観」をご紹介していきます!中には、ご自身が患者の立場も経験したからこその意見も。それでは、どうぞ!
看護師、患者、双方の立場を経験したからこそ・・・
看護師になって15年以上のみなさんは、本当に様々な経験を積んできているよう。ナースとしてのキャリアを長く歩んできたみなさんだからこその「看護観」をほかにもたくさん教えてもらいました!
卒後16~25年の「看護観」とは?
ナースとして、人としてキャリアを積む中で
患者さんの生活を支えること、医師など医療者との間にはいり、調整をすること、必要な知識を提供し、意思決定を支えること
看護を行うことで、身体的・精神的・社会的苦痛を与えないこと。 疾患という苦痛を強いられているところに治療の段階でさらに身体的侵襲を与えられることを考えると、看護行為によって余計な苦痛を与えることは絶対に避けたいと思う。 また、疾患という不安を持ち、入院という行動制限を受ける患者に対し、自身の回復力を発揮できるように、治療の過程で不必要な我慢を強いたりといった精神的苦痛を与えないようにしたい。 そして、罹患により収入を絶たれたり、社会とのつながりを失ったりしないような働きかけをするために、コメディカルと連携していく役割を担う必要があると思う。
病気だけを看るのではなく、その人、一人一人を看ること。 よく「死」に慣れている看護師がいると、耳にしますが、「死」に慣れない看護師で居続けたいです。 母の闘病生活の中で看病した日々で感じました。
「看護とは観察である」たしかこんな本がありました。 実にシンプルで深い言葉だと、今、思います。 何かをして差し上げるとか、何か手出しをするとか、そういう事ではなくて、そういった事以前に、「観察」ありき。 私たちは自分の力で相手をどうにかしたりはできない。 大きな自然の力なんだと思う。
給与とはまた別の『無償の奉仕』だと思います 看護師としては、知識・技術・組織力は必要であることは基本ですが、人としての心であったり、洞察力や五感を活かして、相手の今おかれている状況に合わせたケアを実施することを大切にしています 若い時には感じなかった感情が今は理解できたり、高齢者の喪失感や寂しさが少しずつわかるような気がします。 若くてバリバリして尖っていた頃よりか、丸くやわらかくなった眼差しで、患者や患者を取り巻く人々と関わって行きたいと思います 若さにはかなわないけれど…
母親が我が子に無償の愛で行うレベルだと思ってます。 博愛の精神というか、根底にそういうものがないと 「ただの看護技術の提供販売」と思うので。 もちろん、それも職業としての正解だと思います。 前者は多少のミスは故意じゃなければ許されて良いと思いますが、後者は業である以上、絶対にミスは許されない。だから金をとって良いと思うのです。
みなさん、看護師の仕事だけでなく、人生を通して看護をすることへの考えを深めてきたことが、伝わってきました!
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